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ウエッブジャーナル日本海 通巻5号[2001/03/02]
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≪今号の記事≫
  • がんばれ!鳥取環境大学 〜直〜
  • オタク医師の独り言(3) 医療スタッフの不感症という職業病 〜安陪隆明〜


  • がんばれ!鳥取環境大学
    来る4月1日、鳥取市に鳥取環境大学が開学します。地域にとっても長年の念願かなって の開学です。新しい世紀の新しい大学、そして、21世紀に生きる私たちの、最も重要な 課題である「環境問題」を専門的実践的に研究する大学が鳥取の地にできることは、私た ち地域のものの誇りでもあります。ここでさしでがましいとは思いますが、「がんばれ! 鳥取環境大学」とエールを贈らせていただきます。

    がんばれ! 鳥取環境大学の新入生! ようこそ鳥取の地へ
     はれて鳥取環境大学へ入学が決定された方、おめでとうございます。そして、ようこそ鳥 取の地へ。新しい大学の第1期生ということで、少なからず不安を抱いておられるかもし れませんが、大丈夫です。万全の体制の教授陣により皆さんの探究心はいっそう高められ ます。そして、鳥取での生活は、温かい人情の地元住民の皆様が応援してくれます。(な んといっても私、ご近所です)そして、ひとつだけ注文があります。キャンパス内に閉じ こもらず、地域へと社会参加をして下さい。授業の中のカリキュラムだけでなく、ボラン ティアやまちづくりなど積極的に参画してください。鳥取大学の学生さんとコラボレーシ ョンしていくのも非常に有意義だと思います。自然豊かな鳥取にIT最先端の技術を駆使 したキャンパス、ここで学ばれた皆さんが全国で、いや、世界中で活躍されることを願っ ております。がんばれ!

    がんばれ! 鳥取環境大学教授陣! 期待しております
     本当にさしでがましくて、不躾だと思いますが、「がんばれ!」と申し上げます。地域に とっては長年の夢でありました。鳥取環境大学では、「プロジェクト研究」により学内だ けではなく、地元企業と実務型の研究に取り組むと聞いております。さらに、企業のみな らず、「地域づくり」や「まちづくり」の地元NPOなどとも交流していただき、大いに 「開かれた大学」となっていただくことを希望します。さて、「環境問題」は人文科学、 社会科学、自然科学と学問分野を総合的にクロスオーバーさせて考えていかなければ、解 くことはできないとのことです。申すまでもなく、学生諸君にはその適性にあわせてしっ かりと基礎学問を身に付けさせ、論理的思考の訓練をした後、総合的で柔軟な思考に発展 させるようご指導願います。広い視野を持ち実践的な思考、行動のできる、すばらしい人 間性を持った人材が鳥取の地よりどんどん誕生していくのは私たちの誇りです。

    がんばれ! 鳥取環境大学 私たちが応援します。
     いよいよ待望の鳥取環境大学が開学します。私たち地域住民も積極的に大学を利用してい きたいと思います。図書館を中心とする情報センター、レストランや喫茶などのある学生 センターなども利用して、生涯学習や学生との交流を大いに深めていきましょう。また、 鳥取環境大学では、科目等履修生(単位認定あり)と聴講生(単位認定なし)を募集して います。前期募集の受付期間は3月12日(月)から19日(月)まで。正規の学生と同 じ科目を受講できます。(受講科目は限られています)「環境問題」は生涯学習のテーマ として最も有意義なもののひとつではないかと思われます。また企業にとっても最優先に 置かれる課題でもあります。「産官学民」広く連携を取り、交流していくことで、新しい 社会構造、システムのあり方が、ここから情報発信されると思います。まずは私たち地域 のものが大いに大学に関わっていきましょう!鳥取環境大学、私たちが応援します!

    鳥取環境大学WEBサイト http://www.kankyo-u.gr.jp/



    オタク医師の独り言(3) 〜医療スタッフの不感症という職業病〜
     前回、医療スタッフというのは喜怒哀楽を出さずに淡々と仕事をする、ということを少し話に出したのだけれど、これは一種の職業病だなぁ、と思うことがある。

     医者や看護婦というのはいかなるシーンに出くわしても冷静に処置を進めなければいけない仕事である。例えば、目の前で人が多量の血を口から噴き出しながら意識を失って倒れても、冷静にいつもどおりの調子で対処する必要がある。もちろん最初からそんなふうには私もできなかった。私が医者に成りたての1年目の研修医の頃の話である。朝、回診しようとドアを開けたら、昨晩入院したお爺さんが、ちょうど口からドバーッ!と血を噴き出していたところだった。ドアを開けるなり、その口から血を噴き出している光景を目にして、私は一瞬頭が真っ白になり、どうしていいかわからず立ちすくんでしまった。運良く当直医がすぐ近くにいたので、迅速に対処してもらえたのだが、医者や看護婦というのは、1年目はたいていそんな情けない経験をしている人が少なくないようだ。

     まあそんな私も今では、口から血を噴き出している人に対して、返り血(?)を浴びながらも平気で胃カメラを入れられるような人間になってしまったから、やっぱり人間「慣れ」というのは怖いものだと思う。実際、普通の人が見たら、ぎょっ!と驚く光景、経験というのは、医者や看護婦になれば日常茶飯事のように経験する。それにいちいち驚いていたり怯えていたら神経が持たないので、そういう経験を重ねていくうちに慣れてしまい、どんどん心の反応が鈍磨していっているようなのである。例えば、もし自分の横に人の死体があっても、私はそこで平気で食事ができるだろう。病院の勤務医だった時代、1ヶ月に1〜2回は人の死に立ち会っていた。だから人の死体というのは、日常の中のあたりまえの存在であって、特に怖がる存在でも何でもなくなってしまったのである。医者や看護婦というのは、一般の人と比べると、ちょっとしたことでは驚いたり慌てたりしない習慣というか、鈍い心というべきものが根付いてしまっていると思う。

     さてこれに対して、とにかくちょっとしたことに悲鳴を上げるのがうちの嫁さんである。例えば目の前でよその子供が蹴躓いただけで「きゃーっ!!」と大きな悲鳴を上げる人間である。今、うちには小さい子供たちがたくさんいるが、当然よく転ぶ。そして転ぶたびに「だいじょうぶ? だいじょうぶ? 頭痛くない?」などとひきつった顔で聞いている。私などは、子供は転んであたりまえ、頭をちょっと打ったくらいでは別にどうにもならない、と思っているから、しらーっとした顔でその光景を見つめている。当然そこで嫁さんから 「どうして心配してあげないのよ!」と怒られるはめになるのである。

     特に怒られたのは、確か次女か長男が生まれた時だったと思う。生まれた、と聞いたので、まずはカルテを見させてもらった。母子ともにまったくデータ面で問題なく、まったくの正常分娩。問題なし。そこで嫁さんの病室に行き、「お、ご苦労さん」の一言くらいは軽く言ったと思う。しかし、一言ではいけなかったらしい。後から延々と説教された。

    「隣のベッドの奥さんの旦那さんはね、手を取り合って『頑張ったね。頑張ったね。本当によく頑張ったね』と感激して涙を流しながら、妻の労をねぎらっていたのよ。あれには感動したわ。それなのに、おまえさんは何?」
    「何と言われても、ただの問題ない正常分娩だったし…」
    「正常分娩でも、ものすごく痛いし大変なの! これだから医者というのは患者の気持ちがわかっていないのよ!」
     というような調子で延々と説教を聞かされるはめになったのであった。
    「患者の気持ちがわかっていない」という批判は甘受して受けるとしても、そこまで言われなくても…と思っている私は、やっぱり心がだいぶ鈍磨しているのかもしれない。
    安陪隆明


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