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≪今号の記事≫
「ディスカス2002」開催パネルディスカッション「ディスカス2002」開催にあたって このシンポジウムでは、それぞれ異なった生活環境にあるパネリストが、生の声で現状を語り意見を出し 合い、障害のある私たちが、地域社会でごく普通に生活をしていくにはどのような課題があるのかを問題提 起していきます。様々な立場の、より多くの人たちに聞いていただくことは、最も大切で重要なことであり ます。 そこで、会場の皆さんと一緒にこのテーマについて考え、討論をしていくことが意識の向上につながり、こ れからの障害者福祉の推進と、当事者同志並びにその家族の士気の高揚に繋がると考えます。 障害者と地域との関わりの重要性を問い、障害者が積極的に生き生きとして、自分らしく、安心して生活で きる、そのような地域社会の実現を目標として、大きな一歩になることを考えシンポジウムを開催します。 「ディスカス2002」概要
【障害者の就労を考える会】 詳細はバックナンバーをご覧下さい。>>[日本海ウェブジャーナル通巻17号] 【お問い合わせ】 鳥取市立川町6丁目234−6−2 障害者の就労を考える会 TEL/FAX 0857−24−3918 E-mail shurou@hal.ne.jp
オタク医師の独り言(15)「福尾野歩さんのコンサート」子供の頃の僕は、大人から見ると、相当変なというか馬鹿な子供に見えたのではないかと思う。例えば幼 稚園の頃、「むすんでひらいて」みたいなお遊戯の時間でも、僕は体を動かさずにぼーっとしていた。「イ スとりゲーム」をしても、イスに座ろうとせずに、ぼーっと突っ立っていた。何故そうだったかというと、 どうしてそんなことをしなければいけないのか、ということが理解できなかったらだった。「お遊戯の時 間」というのは、何故、手を開いたり上に挙げたりといった面倒くさいことをしないといけないのか?、「イ スとりゲーム」にしても、どうして皆と競争してイスに座らないといけないのか?、さっぱり理解できなかっ たのである。 この傾向は小学校にあがってからも続いた。何故、宿題というものをしないといけないのか、何故、勉強 というものをしないといけないのか、自分にはさっぱり理解できなかった。結果として、宿題はやってこな いし、漢字テストなどはほとんどいつも0点という子供だった。授業中は「何故こんなことを椅子にずっと 座って聞いていないといけないのだろう?」と考えながら、口をぽけーっと開けたまま、ぼーっと授業を聞い ていた。そのため小学生の頃、担任だったある先生は、私のことを「知恵遅れ」と判断したらしく、私の母 と面談した際に「この子は全然できない子です。『特殊学級』(現在の養護学校)に入れるべきです」という 話をしたという。 まあそういう僕でも、後々ちょっとは知恵がついてきて、鳥取大学の医学部に入って医者になってしまっ た。しかし、いまだに「イスとりゲーム」でどうして皆と競争してイスに座らないといけないのか? 「むす んでひらいて」みたいなお遊戯の時間にどうして手を開いたり上に挙げたりといった面倒くさいことをしな いといけないのか?、いまだによくわからないところからすると、まだまだ知恵が充分ついていないなと思っ たりもする。 と、以上を前振りにして、突然話が変わるのだが、6月23日の夜に倉吉で開かれた福尾野歩さんのコンサー トを聴きに行った。いや「聴きに行った」というよりも、この方のコンサートの場合、聴衆の一人としては 「参加した」という方が正しいかもしれない。 福尾野歩さんは、TVに出ることがないので、広くは知られていないが、知られているところでは圧倒的な 人気を誇る、お笑い芸人? ミュージシャン? 教育家? である。その独特な他の追随を許さない素晴らしい 「芸」を、どういう言葉で表現すればわかってもらえるのか、どういうセクションにあてはめればいいのか (というか、あてはまりようがないのだが)困ってしまうのだが、一言で言えば「遊び歌」「子供向けの歌や 踊りを、洗練されたお笑い芸に昇華したもの」とでもいうべきものになるだろうか。幼稚園の保母さんや保 父さん達が子供達と一緒に遊戯をすることが、年代を越えて爆笑し躍動する芸に昇華してしまったもの…と 書けば書くほど、うまく表現できない自分の筆力のなさがもどかしい。とにかくまずは「生」を見ないと伝 えようがない凄い「芸」なのである。 実は僕はそれまで野歩さんの生のコンサートは見たことがなかった。だから妻が「倉吉で夕方6時から、野 歩さんのコンサートがあるから、子供達を連れて行きましょう」と言われても、「え、倉吉へ夜に!? 子供向 けの音楽を聴かされて、それから1時間以上車を運転して家に帰るの!?」と、それだけで気分がぐったりして いた。何しろ、子供向けの歌や遊戯などに良い思い出がない私である。しかもその後に車で1時間以上、夜の 道を走って帰るのである。コンサートが始まる前は私は「だるいよ〜、嫌だよ〜、さっさと帰りたいよ〜」 と、すっかり気分が滅入ってぐったりしていた。ところが… コンサートが始まるや否や、私の全身倦怠感は一気にふっとび、悪い予想は見事に良い方向に裏切られた のであった。 福尾野歩さんの絶妙な語りと演奏の素晴らしさに、私も含めて皆が笑い転げた。彼の笑いの凄さは、子供 も大人もすべての年代を巻き込んで笑わせてしまうところにある。子供に媚びることなく、子供も大人もど んどん笑いと歌と踊りの中に巻き込んでしまうのである。そして笑いだけでなく、中には「人生」「地域に おける人と人の繋がり」を考えさせられる正統調のフォークソングもある。そういう歌に退屈する子供がい ないわけではないが、彼の芸に惹かれ、そして彼の熱心な歌声に惹かれたのか、そういう歌でも子供達は じっと耳を澄ませたりもしている。 彼ほどの「笑いの芸」の凄さをもってすれば、TVに出ればレギュラー番組の1つや2つを持つくらいわけが ないように思える。しかし彼はそれをしないのだという。福尾野歩さんのコンサートの特徴は、そのほとん どが「地域の素人が主催する」というところにもあるという。実際、今回のコンサートでも、会場係の人た ちは皆、地元の素人の方達がボランティアでしているようだった。彼の笑いと歌と踊りに惹かれた人たち(特 に教育関係者が少なくないらしい)が主催するコンサート形態が中心なのである。いわば地域密着型の市民運 動的なコンサートなのだ。そこに彼の「地域と人と教育」に対する考え方を見たような気がした。 ギャグや笑いやナンセンスなパフォーマンスを通しながら、彼は「遊びのあり方」「地域における大人と 子供のありかた」「笑いのエネルギー」とでもいうべきものを暗示していく。ここでは「お笑い芸」と「人 を育てる」ということが見事に融合されている。彼が行うナンセンスなギャグや笑いのパフォーマンスも、 真面目に歌う正統調のフォークも、実は根底できちんと繋がっている。これらを私達は普段異質なものと思 いこんでしまっているのだが、彼はそれが間違いであることを見事に実践して示しているのである。 帰りの車の中で、笑い歌い疲れた子供達は、スースーと安らかな寝息を立てながら寝てしまった。その静 かな寝息を聞きながら、私は夜の道の中、車を走らせながら考えていた。今日聴いたもの、いや参加したも のは、まさに「生きるエネルギー」そのものであったと。「生きている」ということの笑いと躍動感を認識 させてくれたのだ、ということに気がつかされた。 もし自分が子供の頃、野歩さんのコンサートに参加していたら、それまでの遊戯等と違った反応をしてい ただろうか… そんなことを考えながら、私は子供達の安らかな寝息を聞きながら、夜の道、車を走らせるのだった。
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