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ウエッブジャーナル日本海 通巻26号[2003/03/11]
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≪今号の記事≫
  • 鳥取駅前で「NO!イラク攻撃 市民デモの集い」
  • 好きこそものの上手なれ 〜シャンディ〜


  • 鳥取駅前で「NO!イラク攻撃 市民デモの集い」
     今、全世界で多くの「市民」が戦争という暴挙をとめようと様々な行動を起こしている中、鳥取でも既に各プレスで紹介されているように3月9日、鳥取駅前で「NO!イラク攻撃 市民デモの集い」と題しての反戦行動が行われました。

     以前から一緒に音楽をやっている仲間たちと何か出来ないかと話していたのですが、多忙や諸準備、果たして人が集まるのかと躊躇していたところに、中村さんという方の呼びかけで3月9日に反戦の集会とデモを行うと聞き、渡りに船と参加を即決した次第。早速、連絡を取り、賛同を表明し準備に取り掛かったのです。 あいにくと2,3日来ずっと天候が悪く、天気予報も当日の雪を伝える中、果たしてライブ演奏が可能なのか、決行を確定したのは告知した開始時刻の2時間前という状況でしたが、12時を若干過ぎたあたりにはセッティングも完了。予定通りだらだらと(笑)演奏を始めることができました。

    12:00〜反戦ライブ
     「何やろう?」私(パーカッションやってます)は日米安保、ベトナム戦争時など過去の反戦ムーブメントは知らない世代なので、いわゆる反戦歌というものもあまり知りません。「それなら」と長年の友人(当日はギターで参加)が古い反戦歌を始めた。時折雪の降る中、演奏を続けていると、集会に参加する方、バンド仲間など三々五々に集まり始め、風に吹かれてやイマジンなどおなじみの歌では身体をゆすったり、口ずさんでくれたりと、こじんまりと、でも暖かく集会までの時間を過ごすことができました。(身体は冷え切っていましたが・・・)

    14:00〜反戦集会
     車椅子で来ていたお姉さんの「チラシに一番遅い人にあわせたデモと書いてあったのに賛同してやってきました。」との言葉を皮切りに、仏教関係者、普通の会社員、主婦の方と次々と反戦、非戦のアピールが行われました。 〜〜今回のイラクへの攻撃になんら正義はない。米ブッシュ政権による石油利権と軍需産業と自らの保身のためだけに、多くの人々を殺そうという状況を看過することはできない。〜私はアメリカ人だが、アメリカがこのような行為を行おうとしていることを非常に残念に思う。〜小泉首相は「世論も間違うことがある」というが、果たしてどちらが間違っているのか。開戦によって多額の戦費、占領に伴う費用は国民の負担となり、経済の破綻を加速する。〜地雷撤廃を進めている中、地雷を埋めようとする米国への支持は国の方策として矛盾している。〜〜 途中、倉吉から来ておられた池原さんによる三線の演奏、ゆいまーる(友人の沖縄音楽グループ)の森田さんによるリードで喜納昌吉さん作詞作曲の「花−すべての人の心に花を−」を全員で歌い非戦への想いを一つにしました。

    15:00〜反戦デモ
     駅前エルパパ前へ移動し、鳥取のメインストリートである若桜街道(約1.5Km位?)を 県庁前に向けてスタートしました。当初は50人位の参加を想定していたのですが、最終的には100人を超える人数となりました。ビラにあったように本当にゆっくりと、口々に非戦を訴えながら、歌を歌いながら(忌野清志郎による日本語詩のイマジンや風に吹かれてなど)デモは進んでいきました。とおりすがりの高校生を列に加えながら最終の県庁前に着いた時には1時間近く経過していました。私はというと、肩からさげたカリビアンコンガを叩きながらの行進で重たいことと長時間の演奏でかなりへばってましたけど。

     先にも書きましたが、過去の反戦ムーブメントと無縁で育った私には、声だかのシュプレヒコールも絶叫調のアジテーションもピンとこない。ただ、自分の反戦への意思を表示する方法としての「歌」だったり演奏できる状況つくりだったりしたわけです。人によって方法は違えども、今回デモで叫んだり、歌ったりしたようにその事でなにかがかわらないとしても自分の意思をはっきりと表す事が大事であって、それが世界中に広がり全ての人々が、相手の痛みを自分の痛みとして考えられる世の中になればいいなと思う。世界の国や政府が間違っていようとも、そこに住む市民のNOという声で破滅への道を引き返せるのであればためらう必要はないと思います。

    最後に、呼びかけ人の一人、平井牧師のコメントを掲載します。
    イラク攻撃NO!3月9日鳥取行動 イラク攻撃がアメリカをはじめとする国々によって為されようとしているこの時 世界でそして、日本の各地で反対声が上がっている中、この鳥取の地でもその 声を上げなければという思いで呼びかけ人のもう一人の中村きくえさんとともに 『イラク攻撃 NO!』の市民集会とデモを企画いたしました。当日はあいにくの 天気と寒さにも関わらず四、五十人の予想をはるかに上回り、百数十人の人々 が、イラク攻撃反対の声を上げるために集まってくださいました。この小さな声 がイラク攻撃を止めさせるためにどれだけ効果があるのかどうか、それは分か りません。けれど、集まってくださった一人一人は、この危機的な状況に何か声 を上げなければ、何かしなければ、そういう思いで参加したのではないかと思い ます。3月9日の行動が一つのきっかけになればと思っています。状況は何も 変わっていません。また再び声を上げなければならない時、さらにこのイラク攻 撃反対の声の輪が広がっていくことを願います。
    日本キリスト教団湖山教会 平井文則
    tarako
    info@tarako.net


    好きこそものの上手なれ
     人間、何事も思い込みが大切。私が英語に興味を持ったのも、よくありがちなとてもミーハーな理由からだった。小学5年生の時に雑誌で見かけたブリティッシュバンドのボーカルに一目ぼれしてしまったのである。何を話しているのかさっぱりわからないけどミステリアスなルックスで、とにかくかっこいい!絶対にイギリスに行って彼に会うぞ!そう、このとても単純な思い込みが今の私を生んだといっても過言ではないのだ。

     その頃外国に行ったことのある知り合いさえいなかったし、外国語とは理解できない言葉ということぐらいしか知らなかった私が英語を話すようになるなんて想像も出来なかった。それでも、何でも思い立ったら行動に移さないと気がすまなかった私は、その当時担任だった前川先生にどうすれば英語が話せるようになるのか聞いてみた。「まずはアルファベットを習わなくちゃね」という返事だった。しかし意気込んでいる私の出鼻をくじくかのように、こう付け加えた。「英語はね、こつこつ努力の出来る、そうね、小林君みたいなコが上達するのよ」と。ああそうだ、私は行動をおこすのは早いが、努力というものがとても苦手だったのだ。子供心にかなり傷ついたが、私の決心はそんなことくらいでは揺るぐものではなかった。丁度ローマ字を覚えたところだったので、毎週提出していた日記をローマ字で書いてみたり、彼らのレコードの歌詞を全部カタカナにして一緒にうたってみたり、今考えるととても単純なことだったが、私なりの努力をしてみた。

     中学、高校で英語を習ったけれど、全然得意科目ではなかった。せっかちな私は、私のアイドルと話をするための英語を早く習いたかったのに、学校ときたら読み書き中心でなかなか彼らのようにぺらぺらしゃべって私を驚かしてくれる先生はいなかった。中学での最初の英語の先生はかなりのおじいちゃんで、発音は完全にカタカナ読みだった。そんな発音でホントに私のアイドルと話せるのかなあ、としゃれべない私でさえ大疑問だった。その頃からやっぱり外国に行かないと彼とコミュニケーションが取れるような英語を話せるようにはなれないなと思いはじめたのである。

     そのうち、海外に飛び出しニュージーランドを筆頭に英語を母国語とする様々な国をまわるようになった。そうこうしてるうちに英語も何とか困らずに話せるようになってバイリンガルと呼ばれる人となった。これには私も両親もびっくりしている。なにせ二ヶ国語を話せるのは親戚中でも私一人なのだ。昔は両親も私がただ夢をみているだけだと思っていたに違いない。

     以前は外人は人形か、はたまた宇宙人かというような感じさえあったけど、英語が話せるようになってからは全く違和感が無くなり私の世界も随分と広がった。マドンナみたいな金髪のお姉ちゃんもマイケルジャクソンのような黒人もみんな私たちと同じなんだと理解するようになった。文化やバックグランドの違いからひとつのことにおいても何通りもの解釈があり、私たち日本人がいつも言ってる「普通はね・・・」という言葉は世界では通じないということにも気が付いた。また、英語は世界中で20億人以上に話されているといわれていて、わざわざ各国の言葉を学ばなくても英語ひとつで世界中の人達とダイレクトにコミュニケーションが取れるというのもすごい。子供の頃は手探りでいろいろトライしてみたけど、こんな私でさえ英語を話せるようになったということは驚くべきことであり、また一生の財産だ。好きこそものの上手なれ、とはこのことか。

     私のアイドルに会う(というか見に行く!)という夢は12年後のロンドンで行われたコンサートで実現した。努力が苦手な私をうまく誘導してくれた彼に感謝したい気持ちで一杯だ。ちなみに私のアイドルというのは、ガールというバンドにいたフィリップ君。彼をロサンゼルスで見かけたという人がいたが、今度どこかで見かけたら私はお礼の言葉をかけることが果たして出来るのだろうか?!

    シャンディ
    シャンディのプロフィール
    兵庫県姫路市生まれ。卒業と同時に子供の頃からの夢であった海外生活をスタート。
    オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、フィジー生活を経て、現在アメリ カ、ロサンゼルスで暮らす。
    外国生活の中で日常の出来事を中心にエッセイを筆記。



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