スポーツコラム「Join,S」〜スタジアムが教えてくれる(後編)〜
昨年12月20日。吹雪と凍える寒さの中で行われた、天皇杯全日本サッカー選手権。
その試合が終わると、厳しい寒さも手伝って、多くの観客は足早に帰路に着きはじめました。
バードスタジアムは市街地から離れたところに位置しているため、大半の観客がシャトルバスやタクシーなどを使って行き帰りをすることになります。
これはJリーグのチームが試合を行う場合、毎回・毎年のことで、バードスタジアムでは「おきまり」の風景です。ですから、そこで生じる混乱・混雑には、それに対応した対策が取られると思っていました。
ところが、そのシャトルバスの乗り場は大混乱していました。
シャトルバスは、行き先が二つに分かれていました。しかし、バス乗り場付近には、わかりやすい乗り場の案内がなく、どこにどう並んだらいいのか・どっちに並んだらいいのか、よくわからない状態だったのです。
特に、試合を観るために鳥取に「やってきた」県外の方々は、勝手を知りませんから、大いに困惑されたようです。
「鳥取駅行きのバス乗り場はどっちですか?」「ここで合ってますか?」
こう尋ねられるのは、今回に限らず、今まで一度や二度ではありません。
この日は、清水エスパルスのレプリカユニフォームを着た人があきれたような声で、電話で仲間に(?)話しているのを聞きました。
「いやぁ、鳥取の運営は慣れてないし、観客に冷たい。やっぱり噂通りだよ。今もクソ寒いバス乗り場で、ずっと待たされてんだからさ…」
ズラッと並ぶ人の列、その数に対して、やって来るシャトルバスの数が明らかに少なく、寒風の中、多くの人が凍えながら、愚痴をこぼし、体を揺すりながらバスを待っていたのです。
「バスが全然来なくって…帰りの特急に間に合わないんですよ…」
電話で悲痛の訴えをしている人もいました。しかも来るバスが、本当に自分の目的地行きのバスなのかよくわからない、ときています…。
実は、このような言葉は、毎年・毎回のようにバードスタジアムでの試合後の各所で聞かれる言葉なのです。
こんな言葉を聞き、私はいつもとてもさびしい気持ちになってしまうのです。
運営スタッフは何をしているのだろう−−もしバス乗り場の案内をするスタッフが少しでもいたら、事前にバスをもっと手配してもらえたら……そう思って歩いていると、私の目に飛び込んできたのは、いわゆる選手の「出待ち」の整理と選手バス移動のために、数メートルおきに配置された運営スタッフでした。
しかし、その数が多すぎるような…しかも、その中には暇を持て余し足下に積もる雪を拾って雪玉を投げて遊んでいるスタッフがいました。
そしてあろうことか、歩いていた私の肩に一つの雪玉が直撃しました。
しかし、ぶつけた若い男性は「ヤベ!」とこぼしただけで、謝罪の言葉すらありません…。もし私が県外の人だったら、鳥取という土地に一体どんな印象を持つでしょうか。
外部には察し得ない運営の事情や、スタッフの事情などもきっとあるのでしょう。
しかし、県内はもとより県外からやって来た「お客様」に不快な思いをさせてしまっている現実があるように思えます。
「お客様を迎える態勢」を作り、鳥取という土地に気持ちよい印象を持って帰ってもらえるような努力が、尚必要でしょう。
とにかく、毎年の経験が十分活かされていないように思えて仕方ないのです。
観客数の問題もあります。
2000年。その年、激しく覇権を争っていた人気チームの鹿島アントラーズと横浜F・マリノスが、バードスタジアムで開催される天皇杯で対戦することになりました。
試合の日。天気も晴れていましたが…そんなカードでも、観客数は8000人をようやく超える程度でした。
入場料の高いメインスタンドは空席が目立ちました。
慣れていない運営の不手際に加え、「わざわざガラガラのスタンドでやる必要があるのか」などと、観客数の少なさも捉えての「地方開催」への批判は、サッカーファンの中ではかなり強くなっています。
バードスタジアムでのJリーグチームの試合は貴重な機会のはずですが、ここ数年は5000人前後の少ない動員に終始しています。鳥取での試合開催は批判の的にもされやすいのです。
「人口が少ないから仕方ないよ」という意見もあるでしょうが、
財政事情の苦しいJチームが多い中で、何だか鳥取に来てもらうことが申し訳ない気すらしてしまいます。
試合後の風景や観客数の問題からハッキリ言えるのは、鳥取では、運営も観客も、スポーツ文化、サッカー文化も…まだまだ発展の途上にあるということです。
それは、バードスタジアムにおける観客の基本的マナーの欠如にも表れます。
試合後のバードスタジアム、しばらく帰らずにスタンドに残ってみると、あまりの汚さに閉口してしまうばかりです。
スタンドのあちこちに、わざと捨てられているとしか思えないようにゴミが散乱しているのです。
「(地元の観客にとっては)自分たちの地域のサッカースタジアムを大事にしようという意識は、こんなにも低いものなのか!?」
と、試合後のスタンドを見ると、試合のことを忘れてしまうほど嫌な気持ちで家路に着くのも度々のことです。
これらはあくまで氷山の一角です。しかし、これらの風景は、鳥取という地域でのサッカー、ひいてはスポーツの文化的存在位置と、その成熟度の低さなど、色々な事象を確かに示唆している、と私は考えています。
そしてバードスタジアムの価値は、むしろ県外や県西部の方に認識されている、という現実もあります。
バードスタジアムという得難いハードをこの鳥取という地域が、そこに住む人々が、十分に活かし切れるようになるときがもしやってくるとするなら、
きっとその過程において、スポーツの意義や地域スポーツの振興といったことも多くの人に問い直され、鳥取という地域自体も何らかの活力を得ているはずなのです。
なぜバードスタジアムがこの地域にあるのか、サッカーやスポーツに関心のない方も一緒に、まずはそこから問い直してみませんか?
家作りの現場から〜誰のためのバリアフリー〜
もう随分昔、まだバリアフリーなんて言葉が世の中に存在することすら知りもせなんだ頃や。ご主人を亡くされた初老の奥様から相談がかかった。「先日、主人を送ったばかりですが、不安になりましてね・・・」と切り出された話の要約はこうやった。
「自分は随分長い間寝たきりとなった主人の身の回りの世話をしてきた。幸い今日まで自分はいたって健康で、主人の世話ばかりでなく、他のボランティア活動にも関わってきた。しかし主人が居なくなって、今、私が体の自由がきかなくなったらどうしようかと考えるようになった。まだ今なら多少の金があるので将来のことを予測し、他人に頼らなくても暮らしていけるように家を改造したい。」
相談に応じることとなり、困ってしまった。今は多少の金があっても老後の生活とあれば心細い、少しでも蓄えがあるにこしたことはない。その意味においても改修費用は最小限に抑え、その効果は最大とすることを求められるんじゃ。
考えればこれは難しい。まず体が不自由になるといってもどの程度のことか、また進行性で悪くなっていくのか、はたまた回復するのか。亡くなってしまうのならばそれまでの期間は短期なのか長期となるのか。それらの組み合わせの中で、経済的な費用のかけ方と暮らしの豊かさをバランスさせなければならん。人間はいつか死ぬことは真実である。しかしながらいつかハンディーのある体になるとは決まっとらん。ある日パッタリと死んでしまうなら、どんなに小さな備えも過大投資となるんじゃ。結局この話は無かったことになった。あたりまえや、今元気やったら今のまでええんじゃ。将来のことに怯えながら余計な金使ってしまって、更に気ィ重う暮らすよりやめといたほうがええ。
そこで最近のバリアフリーや。重度障害の人にはとても役に立ちそうも無く、軽度障害の人には邪魔になるというような、全く誰のためかわからんバリアフリーといった製品が世に氾濫しとると思わんか。正確には誰のためでもないバリアフリーってやつや。(いや、バリアフリーを謳っているメーカーのためのバリアフリーか?)
家の建築はなんと言っても費用のかかることや。廊下や出入口を広めに取るぐらいのことは将来の車椅子対策を兼ねてやっておいてもいいかもしれんが、今やらないかんもっと大切なことを捨ててまでする必要はないことや。
巷に氾濫するバリアフリー製品、不要やったり役立たんもん集めたら相当な額の浪費になるんと違うかな。