ウエッブジャーナル日本海
通巻58号[2004/09/10]
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≪今号の記事≫
家作りの現場から〜風景へのインターフェース〜
岡目八目旅日記 韓国編 〜考古学者と歩いた韓国〜 その3
家作りの現場から〜風景へのインターフェース〜
お茶にしても、仏教に関わることにしても、我々の祖先は大陸から伝わった文化を、そのままでなく日本人の感性で独自のものに変えていった歴史を持つ。現在は大陸といっても西も東も、北や南まであって絶え間なく新しい文化が伝わってくる。外から伝わってくるばかりでなく、日本発となるそれも飛び出して行くので世界の先進地を自認する大都市は、ビジネス習慣などのグローバル化も手伝って似たような表情を持ちつつあるように感じる。
思えば歴史上、都市が神殿とか「祈りの場」といったものを消失させていったのはいつの頃からじゃったろうかの。「待て!現在も中東とかインド、チベットなぞにはそういったところが厳然とあるではないか。日本にも多くの門前町や出雲、伊勢といったところがあるんが目に入らんか!」と怒られてしまいそうなので言い方を替えよう。今日の世で、その国の国威を示すような近代都市を構築、または古い都市に近代的都市機能を持たせるべく再構築しようとする時、「神殿、建てなあかん!」と思う人なぞおるじゃろうか?よほどのことがないかぎり、そのようなことを真顔で言うと周囲から非難を受けるどころか、気でも狂ったかと心配されかねん。
神殿の代わりに先ず頭に浮かぶのは、IT化、グローバル化が合言葉の現在、それらのビジネス環境を最適化するには何が必要で、そのための機能的なインフラをどのように整備するかといったことではなかろうか?そういったことが世界中で考えられ、好ましいとされたものは瞬く間に広がり、それがグローバルスタンダードとなってゆく。かくして都市はどこも似たような匂いを漂わせるようになった。
最近バーチャルリアリティーとかいって、現実ではないものがコンピューターの中でさも存在するごとく作られる。ゲームもCGによる仮想都市も思いのままじゃ。しかしながら今日まで都市に構築されてきたものも、これに似たようなことじゃったような気もする。
都市部で目にする(認識できる)ものには、田舎よりも人工のもの、人の頭のなかから生み出されたものが絶対的に多く存在する。それら人工のものと人工のものを結ぶものとしてさらに人工的なものが増殖してゆく。バーチャルではないだけであとは一緒じゃ。現代はその増殖の広がり方も、スピードも恐ろしく速い。本当はそんな中にも自然の営みは確実にあるはずなのじゃが、普通の状態ではなかなか人には気づき難い。
かように都市型デザインというものは、気づかぬ間に人工のものと人工のものを繋ぐインターフェースの上でその魅力を発揮しておる。間違っても人工のものと自然のものを繋ぐインターフェース上で魅力を発揮しているわけではない。自然のものは人工のものほど簡単に扱うことが出来んので、ここを結ぶインターフェースは一通りのものではまかなえん。苦労の連続のはずじゃ。
話が見え難うなってきたの。要は現代の都市は、自然をきちんと認識する場を過去にも増して失くしつつあるのではないかということじゃ。このままでは神の創造物と接する機会がどんどん持ちにくくなってしまう。神殿は違うにしても、自然が産み出す不思議、人間の営みに接する機会を得られるような「何か」を作り、また人工物ばかりを繋ぐような単純なインターフェースのみに生きる感性を育てないために、そろそろ真剣に取り組む時期ではないかと思うがの。
(株)藤原工務店
安藤瀞和
このコラムのコンセプト
自然体の暮らしの器として住宅を見るとき、意外と不合理なことがたくさんある。 しかし建築という特殊なものだからと深く考えずに見過ごすことが多い。 そんなことを自然体建築道の修行者の視点で愚痴る。
安藤瀞和(あんどうとろわ)のプロフィール
建築素浪人。自然体建築道の奥義を極めたいと修行に励んでいる。師はいない。
岡目八目旅日記 韓国編
〜考古学者と歩いた韓国〜 その3
4、日本の歴史教育
韓国の自国の歴史に対する姿勢がどうなっているかについては、いま少し調べてみる必要があると思う。しかし、韓国の第1線で活躍している考古学者たちは、そのほとんどが40代以下、各地に開設されている博物館の館長も40代が中心で、しかも、その任命は大統領が直接行うというのだから、日本とは少し重みが違うように思う。
だからかもしれないが、韓国の考古学者たちは皆誇り高く意気軒昂たるものがある。自国の民族の文化と歴史に対する誇りが持てることは、大変大事なことである。いい意味での愛国心に自然に繋がっていく。
ところが、いま、世界中で一番自国の文化や歴史に対し、知識ももたず、誇りも持っていないのは日本の子ども達ではないかと思う。ヨーロッパでもアジアでもいろいろな国に行ってみるが、どこでも“俺の国はいい国だろう!”といって自慢する。では、よその国に行ってみたことがあるかと尋ねると“ない”と答える。でもみんな自分の祖国が限りなく好きなのだ。
日本は、嘗て国家の政策を貫くために、歴史の真実をかいざん改竄し、捻じ曲げてきた不幸な経緯がある。その結果として朝鮮半島の侵略を合理化し、あの無謀な戦争を引き起こし、アジアの諸国民に多くの犠牲者を出してきた。
そのため、日の丸・君が代の問題に象徴されるように、軍国主義の復活と国粋主義的な皇国史観の復活を警戒する思いが強くなってきていた。その反対に文部省を中心にして、教科書検定に代表されるように右よりの動きも顕著になっていく。歴史教育、特に日本史を中心にして教師達は、こうした政治的な左と右の綱引きの狭間におかれた。そのため、日本の歴史と文化の素晴らしさを素直に子ども達に語ることが難しくなったのではないかと思われる。
教育の中立性という枠に繋がれた教師達は、当たらず触らず、おっかなびっくり、及び腰で歴史教育に当たる。これでは、子ども達の中に素直に日本の歴史と文化を誇りに思う思いが育つわけがないと思う。まして、現在教職にある全ての教師は“戦争を知らない子ども達”の世代なのである。経験に裏付けられた戦争の反省も教えられなくなってきているのが現状である。
今、高校では世界史が必修になっている。私は世界史の担当教員だったが、身贔屓を乗越えて、必修にするのなら、日本史をするべきだろうと思う。
文化政策にして然り。いま、日本の伝統文化は瀕死の状況にある。私自身、海外旅行に出かけることが多くなり、外国の文化に直接触れてきて、日本の文化の質の高さに刮目するおもいがある。神社・仏閣の建築技術、彫金、漆器、陶芸、木工などの工芸技術は、諸外国のそれに比しても群を抜いて素晴らしいと思う。ところが、日本のどこを探しても、これを守り育てる公的な制度も機関もない。後継者もないまま、二度と復活できないで埋もれてしまう伝統の技術も多い。音楽、美術、書道などは、東京藝術大学に代表される専門の大学があってそれぞれ人材が育っている。しかし、日本文化を創造してきた職人を育てる専門学校がどこにもない。国立日本工芸専門学校をあらたに創設して、伝統文化を継承発展させることが必要だろう。自国の歴史や文化を保護育成する文化政策の中で、若者が自国の文化に誇りを持ち、生き生きと育ち、自然発生的に日本の国を愛する気持ちが生まれてくるのだと思う。今、韓国に行ってみて、私の接した考古学者、研究者達が生気にあふれており、誇りを持って頑張っている原動力は、自らが韓国文化を支えることによって社会に貢献しているという自覚から来るものだと思う。
“自分が必要とされていると自覚できること”こそ“生き甲斐”というものだと思うからである。
5、韓国のグルメ
旅の楽しみのひとつは、美味しいものを食べることである。今回の修学旅行には、専門のグルメプロモーターが専属でついてくださった。韓国に詳しい柳本先生が、全てメニューをチェックし、食事ごとに異なった趣向を凝らし、各地の友人の考古学者に遺跡ならぬ、メニューにあわせてその地で最も評判の店を探索せよという極秘命令が事前に下っていたという。
到着した仁川空港のビビンバはともかく、釜山大学校桑南国際会館の朝食の鮑のお粥はさっぱりして旅の疲れを優しく和らげてくれた。昼食の蔘鶏湯(サンゲタン=鶏の丸蒸スープ入り)はあら塩とコチュジャンで自分の好みで味付けをして食べるのだが、しっかり煮込まれた鶏肉とスープにごはんをほり込んでいただく。まろやかな味に、自家製の数種類のキムチが見事なハーモニーとなる。どこでも数種類のキムチが食べ放題で給されるのも嬉しい。
夜のパーティはバイキングであったが、ユッケ(生肉のたれ味付け)とカルビの骨付き煮込みの味付けが絶妙。韓国の肉の扱い方は特筆に価する。
私の弟は、直前に韓国の旅に来て、食べ物が口に合わなくて、早く日本に帰りたいと思ったというが、私は、何を食べても美味しかった。最も、食糧事情が悪い戦中・戦後に少年時代をすごした我々世代は、食べ物に対する執着が異常だというから、味覚は当てにならない。飢餓の記憶がトラウマになっているのかもしれない。だから、旅の記憶も大抵食い物とセットになっている。
しかし、韓国料理の辛さが気に入って、帰国して1ヶ月以上たつのだが、買ってきた韓国製のキムチを、未だに一人で食べつづけている。
3日目の慶州のお昼に頂いた、かに、海老入り豪快海鮮ちぢみと、かに味噌風味豆腐スープぶっ掛けごはん(名前を覚えられないので勝手にメニューを作っている)は日常では味わえないまさに韓国独特の味。日本の韓国料理のお店でも出合ったことがない。
3日目の夜は、典型的な韓国料理、プルコギ(焼肉)であった。普通の食堂は味も素っ気もない公民館の大広間といった感じだが、珍しく荒壁の民芸調のお店で炉を囲んだ。たっぷりと出される焼肉をサニーレタス(?)で包み、添えられた薬味(葱の細切り、大根の短冊、もやし、にらの細切り、海草、キムチなど)を上に載せ、最後にコチュジャンかテンジャン(唐辛子などの香辛料)を加えてたれを付けて食べる。濃い甘口のたれで肉だけを食べる日本の焼肉と違って、野菜と薬味、香辛料をたっぷりつけて食べるから、意外にあっさりして食が進む。コチュジャン(唐辛子味噌?)の辛味も、キムチの辛味も、打ち上げ花火のように、一瞬、辛さが全身にパーッと広がって来るが長くしつこくは続かず、余韻は体の中に熱として残っていく。鼻の頭に汗をかきながら夢中でほおばる。
最後の夜の海鮮チゲ鍋も生きた蛸をはさみで切ってほり込みむなど野趣あふれる趣向で、新鮮な海の幸を満喫した。
そのほかにも、夜の特設二次会で必ず登場したのが、藤田 憲司先生お薦めのサル=マッコリ(韓国風濁り酒)。これは旨かった!オンドル部屋でお尻を温めながら飲んだ冷やしマッコリは、ほの甘いあっさりしたどぶろくで胃の腑に沁みる美味しさ。クセになりそう。コンビニで1本(1リッター)1800ウォン(180円)という安さも庶民の匂いがして殊のほか気に入ったのである。柳本先生のプロモートされた韓国料理の旨さにしっかりはまってしまった。
韓国の料理は、基本的に庶民の料理ではないだろうか。それは、一つの鍋にあらゆる食材を入れ、家族みんなで一緒に食べる。家族を大切にするという韓国の慣習からくるのかもしれない。従ってとり箸などというものはない。燃料が少ないという自然環境もあるかもしれないが、雑炊か“ねこまんま”的なたべかたになる。食材の素材感は薄れるが、野菜もたっぷりいれるので栄養のバランスもよく合理的な食事なのだと思う。
野菜とのコンバインは古くから肉食を楽しんできた民族の智恵なのかもしれない。キムチやコチュジャンに使われる唐辛子などの香辛料の多用も寒さの厳しい韓国独特の智恵なのだろう。
韓国料理は最高の健康食だといわれるが、確かにそうかもしれないと思う。その証拠に、韓国で脂肪による肥満体の人に出会うことがなかった。男性はかっちりした筋肉質の身体で、女性はすらりとして美しい。実際に私自身も美味しい料理づくしで、血糖値を心配しながらも、お腹いっぱい食べ、お酒もかなり頂いた。きっと2〜3キロは太っただろうと思って、帰宅後恐る恐るヘルスメーターに乗る。ところが、私の体重は出発前と全く変わっていなかった。改めて、韓国料理の威力を再確認した次第である。
6、エピローグ
行程はたったの5日間、実質は3日という韓国滞在であったが、私にとっては、大変密度の濃い収穫の多い旅だった。いい旅かどうかの成否は、1に天気、2に仲間、3に場所だといわれる。
野外で見学することが多い旅だったので天気を心配したが、幸い好天続きで3月にしては気温も暖かく、誰かに“雨男”などという汚名をおっかぶせる必要もなかった。
むきばんだやよい塾の修学旅行に飛び入りで参加したが、仲間の皆さんも快く迎えてくださった。偶然にも鳥取男声合唱団で一緒に活動していた森田さんと一緒になり、同室で5日間、二次会、三次会も含めつるんで過ごした。
何よりも、知りたい、学びたいという前傾姿勢の参加者、皆さんに教えたいという講師陣、知って欲しいという韓国の学者・研究者の集団だから、アカデミックながら、三つ巴のように絡み合った和気藹々とした雰囲気ですごした。
そして、大きかったのは、私にとっては最も近い国でありながら、最も遠い外国であった韓国が、1万年2千年ほど前の陸続きだった時代に戻ったような親近感を覚える国になったことである。
それにもまして、素晴らしかったのは、日韓両国考古学の先達たちの導きで、通常では経験できない考古学の粋と韓国文化の精髄を肌で感じることが出来たことである。
日本から渡ったと考えられる縄文土器や黒曜石、ここが日本の銅剣のルーツだと考えられる琵琶型銅剣(慶州博物館)や、青谷上寺地で出土した継ぎ釣り針の原形(東三洞博物館)など、多くの交流の遺物を自分の目で確かめた。
考古学については全くの門外漢のわたしでも、文字が語る歴史ではなく、遺跡や遺物が語りかける考古学のロマンを先生方のリードで感じられたことが嬉しい。
旧石器に始まり、各時代ごとの遺跡・遺物を見て歩いたが、最後に訪れた夕暮れの石村洞古墳群の方形三段の基壇式積石塚(百済時代)を見ながら、今度は、是非、高句麗の将軍塚(方形七段ピラミッド)や高麗大蔵経を見たい。できることなら広開土王碑も訪れてみたいという新しい夢が私の胸にプツンと芽を出した。第2回の修学旅行の企画が早くも持ち上がっているという。あの、悪夢のキョンジュの夜やソウルの夜のカラオケを、今から心待ちにしている魔物が自分の心の中に潜んでいるようで少し恐いのだが・・・・・・
谷口 肇
谷口 肇のプロフィール
鳥取の片田舎に生まれる。
40年間、高校生たちに、世界中の人間たちが生きてきた歴史の語り部として過ごす。 今は、NHK文化センターの講師として、刻み込まれた歴史の襞をなぞりながら受講者とともに歴史の醍醐味を味わっている。 その間、ヨーロッパ、アジア、北米、南米、アフリカなど40カ国あまり、そして日本の各地を、大きな歴史のうねりに目を凝らし、歴史の歯車の軋る音に耳を澄ませつつほっつき歩いてきた。
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